ドラム禅問答

ドラマー稼業の知人が昨日「愛用していたシンバルにヒビが入ってしまった」と嘆いておられた。彼はサウンドの細部にまでとことんこだわる職人気質のドラマーで、かつヴィンテージ楽器の優秀なコレクターとしても知られる男なので、その無念たるやさぞかし大きなものだろうと思う。
しかし、ドラムという楽器はそもそも、棒で思い切り叩くことで音を鳴らす楽器なのであり、いかに大事なシンバルであろうと、棒で叩くものだ。大事にしているからといって叩かないのでは、雨にさらすのがいやだからと傘をささないのと同じだ。丹念に磨くなどのケアーはすれど、結局は棒で叩く。手首を柔らかくして、適度に力を抜きながらも、結構な勢いで叩くのである。それは壊れもする。
割れてしまっては悲しい、しかし叩かないわけにはいかない。ドラムを叩かぬ一般人には分からぬ、深い深い哲学のような悩みである。というようなことをツイッターで吐いたところーー私の身近にはプロフェッショナルのドラマーが何人かいるのだが、そのうちのひとりが、やはりその禅問答に何年も頭を捻らせているのだという。スネアやタムなどのいわゆるタイコの類は、直接的に叩くのはヘッド部分であり、よほどのことがない限りは部品の取り替えでなんとかなるのだろう。しかしシンバルはどうだ。むき出しの金物を直接叩いた音色こそがシンバルのそれであり、柔らかい布などで打面を覆うわけにもいかない。凹みや歪みはまだしも、ヒビが入ってしまったのでは(よほどの例外を除いて)余分なノイズが入ってしまう、使い物にならない、やけに大きな粗大ゴミになってしまうのだろう。良い品物はやはり高額な場合がほとんどで、何度だって叩きたいものほど、なるべく痛まぬよう大事にしたい。実に悩ましい、禅問答である。

このことをなにかに喩えて、ドラムに縁のないあなたに示唆的な文言を私がつぶやくのかというと、そのようなことはないのであった。段落が変わったからといって勝手に想像してもらっては困る。シンバルは割れ、ドラマーは嘆くのだ。ドラマーの日常はそのように過ぎ、テン年代は少しずつ近づいてくる。やっぱり「テン年代」はさすがにナシだと思うので、佐々木氏にはもう少しじっくり考えてほしい。